手放すこと、見守ること
我が社には、日本語レッスンの他に、翻訳・通訳サポートサービスがあります。
これらのサービスは、学校の個人面談の通訳など日常生活の中でサポートが必要な場面での利用を目的としています。
これらは、『今』のサポートとして位置づけています。
ですが、『これから』を考えると、これらのサポートに頼ることなく生活できる環境を整えるお手伝いをすることも、私たちの使命だと考えています。
この”使命”の現在進行形の例から感じることを、数回に分けて綴らせていただきます。
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私個人の生徒さんで、先日紹介したお団子姉妹がいます。
(☞https://www.hikari-japaneseschool.com/blog/1463/)
先月で来日1年が経ちました。
来日後すぐに臨時休校、緊急事態宣言…と、慣れない生活で苦労していましたが、なんとか1年過ごすことができました。
子どもたちは週2回のレッスンをよく頑張っています。
お母さんはと言うと、日本語はほとんど話せません。
今も挨拶程度までです。
仕事では同じ国の人たちと一緒なので、普段は日本語を話さず生活できるのです。
ただ、子どもたちの学校関係についてはサポートが必要なので、学校の先生とのやり取りはこれまで全て私が間に入って行ってきました。
普段の特別の連絡がある時は先生↔谷村↔お母さんでメール又は電話、個人面談は私が同伴して通訳、提出物は私と一緒にチェックする、といった具合です。
でも、来日1年が経った今、「このお手伝いをそろそろ終わりにした方がいいと思っている」、と先日お母さんに伝えました。
私が間に入ることがイヤなのではなく、これからも日本で生活していくことが分かっている以上、お母さんが先生と直接話せるような環境を整えることが大事だと感じるからです。
来日直後は大変なのは理解できるので、もちろんサポートします。
特に、この1年間、コロナの影響で生活は落ち着かず、仕事探しも難航していたようでした。
1年経って、最近ようやく生活のペースがつかめてきた。そんな印象を受けます。
ですが、このまま「誰かが助けてくれるからいい」が続くと、来日何年経っても自分で動かなくなってしまいます。
それなら、来日1年を目処に、私はこのサポートを手放す必要があると思いました。
これを提案できたのは、このお母さんだからです。
これまでの1年間で、お母さんが一所懸命日本の生活に馴染もうとしていること、子どもたちにできる限りのことをしたいと思っていることを、お母さんの頑張っている姿から感じました。
彼女にとって唯一と言っても過言ではないぐらい数少ない日本人の知り合いである私に、日本の生活について毎回色々な相談をしてくれます。
その都度お母さんと一緒に考えて、この1年を過ごしてきました。
だからこそ、お母さんそして家族みんなに、もっともっと日本で心地よく、前向きに、自分たちの足で生きていけるお手伝いしていきたいと思います。そして、する必要があると感じています。
お母さんとは、
◆今後は先生からお母さんに直接メールを送ってもらって、翻訳アプリで訳したり自分で調べたりしてみてね。それでも分からない時は私に聞いてね。
◆できるペースでいいから日本語の勉強を続けてね。地域にもたくさん日本語教室があるからね。ポルトガル語が話せる先生のクラスもこれだけあるよ。
まずここまでを話しました。
とても理解のある方なので、「言ってくれてありがとう。」と、自分で頑張ってみる意志を伝えてくれました。
しばらく静観、何かあればいつでもサポートできる気持ちだけもって見守ろうと思います。
こんなに頑張っているお母さんに対して見守りだなんて、大変おこがましい話だと自分でも感じますが?
お母さんも団子姉妹も、そしてお父さんも、日本生活がもっと楽しくなるように?陰ながら応援しています!