私たちはそのためにいる。

日本語生徒のうちの2人は、関西在住のブラジル人の男の子です。
来日2年目の小学3年生と、来日5年目の小学2年生。
彼らはどちらも非日系で、保護者の仕事の都合で日本に来ました。
どちらの男の子も元気!!!!!!
毎回それぞれレッスンの初めに、おもちゃを見せたり図工の作品を見せたりポケモンの洋服を見せたり…..
よくそんなに色々持っているな?と思うぐらい色々なものをお披露目してくれます。
彼らは彼らなりのペースでそれぞれ着実に日本語が理解できるようになっています。
でも。
来日2年、来日5年にして、ようやくここまでか。
すぐにどんどん吸収する年齢なのに。
というのが、正直な気持ちです。
これまで学校では何をしていたのかな。
と、同業者だったから思ってしまうところがあります。
でも、同業者だったからこそ、分かります。
「どうしたらいいか分からない」「分かってたって手が回らない」ことも。
私は、教員3年目の時に担任したNさんのことを今でもすごく悔やんでいますし、申し訳なく思っています。
Nさんはお父さんが中東出身、お母さんがモンゴル出身で、日本の血は入っていません。
でも、1年生の時に日本に来て、他の子たちと一緒に学習していました。
私は彼を4年生、5年生の2年間担任しました。
4年生の時はまだ無邪気で、テストの点は良くないながらに彼なりに一所懸命授業に参加していました。
授業中に手も挙げていました。
でも、5年生になったら、授業中全然集中しなくなり、おしゃべりばかりして、友達の邪魔をして…という状態になりました。
彼にとって勉強が難しいのはすごくよく分かるので、放課後に一緒に勉強したり宿題を増やしたりしました。
でも、彼にとっては放課後は友達と遊びたいし、宿題だって楽しくない。
音楽や図工の自分の授業ではない時に彼とさんざん1対1で話をし、励ましたり叱ったりしましたが、ちょっと良くなってもまた周りに迷惑をかけることをし、叱ることが続きました。
家庭環境が複雑だったこと、勉強が分からないこと、色々な理由からむしゃくしゃする気持ちがあったと思います。
1学年に1クラスしかない学校で、区内の小学校の日本語学級もまだ数が少ない頃でしたので、学級こそが彼の居場所のはずでした。
でも、その居場所を居心地のよいものにしてあげられていませんでした。
彼の才能を引き出すにはどうしたらいいのか、日々考えました。
でも、クラスの中で彼が何かをやらかせば、それは指導をしなければいけません。
日本語は十分に分かるご両親でしたが、家庭と一緒に頑張れる環境が整わず難しさを感じました。
ジレンマをすごく感じました。
彼に寄り添えていない、と分かっているのに、寄り添いきれないまま時間を過ごしてしまいました。
6年生に進級する前にはだいぶ落ち着きましたが、5年生の秋冬は本当にひどいことをした、と、私はずっと申し訳ないと思っていました。
今でも思っています。
それでも救いは、卒業後に彼とその話が出来たことでした。
彼が高校2年の時に小学校の運動会に来て、職員室まで会いに来てくれました。
180センチを超える長身のイケメンになっており、「お久しぶりです。お元気ですか。」なんて丁寧な日本語を使えるようになっていて…!!!
成長している…!!!
谷村「あの頃は本当に申し訳なかったよ〜。今でも悪かったなぁって思ってるよ。ごめんね。」
Nさん「ぼくもいっぱいふざけてすみませんでした。」
Nさんの同級生「先生、俺たちの学年のLINEグループあるんすよ。写真撮って送りましょうよ。」
谷村「え〜、恥ずかしいよ!」
みたいな話をし、私の心は少し軽くなりました。
でも、こういう経験が自分の中でずっと残っているので、現生徒2人の担任の先生たちの気持ちもすごく分かります。
(一緒にしてほしくないとは思いますが…?)
だからこそ思います。
先生たちが全て抱える必要はない。
それぞれできる人が担当すればいいんだと。
私達 日本語講師や翻訳・通訳サポーターはそのためにいます。
学校とも家庭とも一緒になって子どもたちを育てていけたらいいと思っています。
子どもたちもそうだけど、学校の先生たちもすごくすごく頑張っています。
先生たちのためにも、できることをやっていきます。