さとこ先生の海外子育てコラム3【なぜ継承日語教育か】

私個人の経験では、継承語は「自分の生まれ出たところと繋がるための道」のような感覚です。

子供本人にとっては、「自分はなんなのか」を感じる手掛かりになるのではないでしょうか。親にとっては、顔や性格が似ているという遺伝的なもの以外の繋がりです。人為的に作らないと、消えていってしまうものです。

実際、諸外国でも移民の3世になると、一世が使っていた母国語はほぼ消滅するのだそうです。維持する努力をしないと消えるものなのです。

そして、いま、自分や夫の両親が歳を取っていく様子を目の当たりにし、そこにいずれは老いていくだろう自分の姿を重ね、気がついたのです。私の母語で子供たちとコミュニケーションを取れることは実は「自分の」サバイバルに有効なのではないかと。

脳の老化で英語やイタリア語が出てこなくなるというのは十分あり得る話です。いろいろ助けになってもらいたい時に「お母さんの言ってることがわからない!」と言う事態になることはこれで避けられるのではないかと思ったりします。

そして、子供に「なんで日本語やらないといけないの?」と聞かれた時には、「だって、お母さんが年取ってから、言ってることがわからなかったら困るでしょう?」と半ば脅迫のように返すのです。これは子供にはなかなか説得力のある回答のようで、「まあそれもそうだ」という顔をします。

子供の誕生時の言語の選択から始まり、死ぬ時も自分のことしか考えないのですから、親とは勝手なものですね。