【新連載】親が始めた日本語指導から 子どもが自ら切り開く 日本、日本語の世界
光JSで日本語レッスンを担当しているまき先生が、全10回に渡って、ご自身の日本語バイリンガル教育体験談について綴ってくださいます。
【まき先生】タイ在住。2児の母。タイの大学・中等教育現地校・バイリンガル教室での日本語教育10年以上。
第一弾【家庭における親子の言語活動 inタイ】
「もう漢字を勉強したくない」
これは息子が小学校4年生の頃、私に告げた言葉。現在18歳になる息子はタイで生まれてから2歳半のとき日本に2年住み、再度タイに住み今に至ります。我が家は夫がタイ人です。結婚後、夫の仕事の関係でタイの地方暮らしが続き、日本語学習は主に家で私が行っていました。
指導方法も自己流で先の見えない学習に不安マックスだった時の息子の悲痛の叫びでした。それだけに、こちらの心的ダメージは大きかったです。その後、息子と娘は、それぞれ自発的に興味を持った自分の日本や日本語の世界を広げていく訳ですが、今回書くのはそこに辿りつくまでの私と子どもたちのことばの記録です。
まず、我が家の子育て状況から。タイ人の夫、今年タイ現地校に通う高校3年生の息子と高校1年生になる娘の4人家族です。夫は日本語ができたため、家庭内言語は大体日本語です。わたしと夫、わたしと子どもたちは日本語、夫と子どもたちはタイ語、時に日本語。家族みんなで話しをするときは会話の内容によって日本語やタイ語、または両方混ぜながらというのが我が家のスタイルです。
タイで結婚した当初から夫の仕事の関係でタイ中部や日本滞在2年を含め、その後もタイ東北部2年、タイ南部5年半と引っ越しが続きました。子どもたちは、引っ越した先にあるタイ現地校に通いました。場所柄、子どもに合った学校を選ぶというチョイスはなかったです。引っ越した先は、日本人コミュニティーから遠い環境だったので、わたしは余計に家族のコミュニケーション手段と考える日本語をきちんと確立したい気持ちでいっぱいでした。
子どもたちが幼児期の頃、夫の仕事で2年日本に滞在しました。当時、滞在が2年限定と分かっていたので、私はとにかく図書館へ足しげく通い、毎日毎日たくさんの本を読み聞かせていました。というのもタイへ戻ってきてから本の思い出を一緒に語りたい、勿論 本好きになって欲しい思いもあったからです。日本で2年間過ごす間子どもたちは本を通して、ひらがなとカタカナにたっぷり親しみました。
その後息子が4歳、娘が2歳でタイに戻りました。タイへ戻ってからも夫の転勤で、この先どこへどのくらい国内移動するかが定かでなく、引っ越した先では日本語話者がわたし一人という孤独感が常につきまとっていました。ネット環境も整わないタイ地方にこのまま住み続けたら、子どもたちの日本語力が低下してしまうのではという焦燥感もありました。
地方暮らしは、日本人との交流機会がなく子どもたちが接する日本語がわたしだけで果たして大丈夫なのだろうかという不安感が拭えない日々。そんな中わたしは、日本滞在中に子どもたちが身につけた日本語の会話能力、そして少しずつ覚えつつあったひらがなとカタカナという文字の存在をタイに戻ってからどのように保持し、そして伸ばせるかを考えるようになりました。そしてその方法として到達したのが文字、主に漢字を軸に家庭内で文字指導をしていくことでした。