「新しい環境に慣れるまで」まき先生の海外子育てコラム③

連載「家庭における親子の言語活動 inタイ」第3弾。

光JSの講師でもあり、タイで子育て経験のあるまき先生によるコラムシリーズです。

 

2年の日本生活を終え、タイへ戻ったものの、夫はまたすぐに海外転勤。

わたしと子どもたち(当時息子は4歳、娘2歳)は一旦夫の実家のあるタイ東北部で過ごすことになりました。

息子はこの地で幼稚園年中、年長の2年間を娘は年少生活を送ることになったわけですが、当時日本から戻ったばかりの子どもたちの生活言語は日本語中心で、タイ語はゼロスタート。

 

息子はさまざまな環境の変化についてゆくのが非常に大変そうでした。

夫の実家近辺の現地校に行くことになった息子は、初日“トイレ(タイ語:ホンナーム)”、“水(タイ語:ナーム)”という2語を口ずさみながら登園。

初日帰りのお迎えに行くと、担任の先生が「この子は、今日1日ずーっと私の手を放しませんでしたよ。」と言いました。

ことばの分からない場に独りぼっちになった息子は、信頼できる唯一の大人(担任の先生)の側にいれば大丈夫だと、顔を覚えひっついていたのでしょう。

 

 

慣れるまで半日にしておけばよかったか、もう少しタイ語を習得してからの登園でもよかったのか、正解が分からず自分を責めたものです。

田舎の学校はタイ語を教えてくれる“特別学級”‘など存在せず、タイの子どもに合わせた園生活に慣れていくしかありませんでした。

 

幼稚園に通い出しほどなくして息子に吃音が出始めた。

 

Google検索すると、ことばを発する時に初めのことばが出にくい難発型とありました。肩をいからせのけ反りながら、言いたいことばを絞り出しぜーぜーはーはー。数か月続きました。

 

わたしは特に指摘せず息子の背中をさすり、いつか消えるのだと気長に構えるようにしました。

息子の安心材料になるよう日本の思い出話や、読み聞かせで好きだった本や図鑑を一緒に広げて読みました。タイ語で読めた文字があるとオーバーなほど褒めちぎりました。

 

 

子どもたちは徐々にタイの田舎生活にも慣れていきました。

祖父母との暮らしの中どっぷりとタイ語環境に浸かり、近所に住む親戚一同からの愛情をたっぷりと受け、子どもたちはめきめきと逞しくタイ語力を身に付けていきました。

他方、頑張っている彼らを見ながら、それまで培った日本語力は衰えないだろうかという焦燥感を抱いていたのはこの頃です。

 

タイの幼稚園は園で過ごす時間が長く、7時半から午後3時半‐延長もでき、午後5時までのところもありました。

毎日文字の書き取りや、塗り絵など宿題が出されたので、前回も書きましたが、漢字学習が子どもたちの日本語力の要になると信じた私は、それに便乗し家庭でひらがなやカタカナ、漢字のドリルをさせていました。

小学生低学年の漢字は覚えやすくドリルが進めやすかった時期でもあります。

 

わたしは、漢字ドリルの練習の後どのように漢字が子どもたちの記憶に留まり、定着するかをいつも考えていました。

子どもたちが幼稚園時代から小学校低学年の頃までが、比較的漢字学習を楽しめた時期でした。

わたしの行った家庭内での文字指導の中から4つ紹介します。

 

④へつづく…

 

 

これまでのエピソードはこちら

① 親が始めた日本語指導から 子どもが自ら切り開く 日本、日本語の世界

②「わたしの行った家庭内での文字指導」~漢字学習への拘り~