さとこ先生の海外子育てコラム5【それぞれの言葉で話すと言う選択】
それぞれの言葉で話すという選択
私は、言葉に関しては悩むことはありませんでした。赤ん坊に自分の母語でない英語で話しかけるのは不自然な気がしましたし、そもそも新生児なので何語でも同じようなものだろうと思いました。
また、将来、イタリア語や日本語がわからないと親戚などと意思疎通ができなくなることは容易に想像できたので、息子にはそれぞれの親の言葉で話しかけることにしようと夫と決めました。
親として選択したことの中で、ここの選択だけは間違っていなかったと断言できます(他のことは後悔のほうが多いですが)。
多言語環境で育つ子供は発語が遅くなる傾向があるため、周囲がいろいろ心配して「やっぱり言葉は一つにしたほうが・・・」などと口を挟んでくることがありました。
私も初めての子育てで自信がなかったこともあり、「たしかに英語圏に住んでいるなら英語もできたほうがいいよね」、という新米の親としての心配から、長男はプレスクール(幼稚園の前の幼児教育)に入れました。
日伊語家庭 x 英語のプレスクール
思い返せば、「ちゃんとしている」ことを見せたかったのかもしれません。
が、プレスクールでの生活は親の描く「学校大好きな幼児」の姿からは程遠く、最初の時期は行きたくないと泣くことが多く、なだめすかして行かせるのが大変でした。小学校までこんな感じで、「できれば(言葉のわかる環境である)おうちがいい・・・」という気持ちがいつもあったようです。
今思えば、英語もプレスクールもどうでもよかったのに・・・と思いますが、その時は、幼児には知的刺激の多い言語環境や集団教育が必要だと頑なに信じていたのです。
フランスに引っ越したのはSKが12歳(中学2年)のときでした。レンヌには日本語補習校もありましたが、現地校の負担を考えて、日本語を勉強させることは諦めました。
フランスでの最初の1年は本人曰く「本当に大変だった」そうですが、文句も言わずに学校に通っていたので、あまり心配した覚えはありません。環境に比較的スムーズに適応できたのは、本人の努力もありますが、もともと友達を作りやすい性格だったのが功を奏したのかと思います。
本人はそれなりに葛藤していたのかもしれませんが、これが自分の人生と、半分諦めていたところもあるのでしょう。
フランスで初めて友達を家に連れてきた時は私も嬉しかったです。日本語の勉強をやめてしまったことは本人は残念がっており、20歳になってから、「もっとやっておけばよかった・・・」とたまに言うことがあります。
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