【家で行っていた4つの文字指導】まき先生の海外子育てコラム4
漢字学習が楽しかった頃
2年の日本生活を終え帰国した時子どもたちは、4歳と2歳でした。夫は単身赴任でタイ南部にいたため、私と子どもたちは夫の実家(タイ東北部)で暮らすことにしました。日本からタイの田舎へ住むことになり、言葉、季節、習慣の違いに日々戸惑いながら息子はとりあえずタイの幼稚園(年中)に通うことになりました。
幼稚園生活を送りながらどっぷりタイ語に浸り、日本語がフェードアウトしいてしまうのではという不安を感じながら私は家での日本語文字指導に一生懸命でした。今回は当時 家で行っていた4つの文字指導の紹介をさせてください。
①漢字体感ゲーム
漢字ドリルから離れて記憶に残っている漢字を子どもたちが選び、体で形作るゲームです。両手足を広げ、“大“という字を作ったり、息子が人偏、娘が両手を広げほうきを両足の下からのぞかせ”休“むという字を作ったり。
祖父母に
「これは日本語の文字の一つの漢字といって、こんな風な形で、文字自体に意味があってね」
と伝えたりしていました。
祖父母は、日本語ができる子どもたちの頭をなで抱きしめていました。そしてたどたどしいタイ語を話す孫たちの言っていることを理解しいていたか疑問でしたが、何を説明されてもうんうんと頷き褒めちぎってくれました。子どもたちは、覚えた漢字を今度は覚えたてのタイ語で説明できることが誇らしく、祖父母に褒められ嬉しそうにしていたのを覚えています。伝える人、支える人の存在は大切だと思います。
②自分が主人公 読み物教材
1年生の漢字を学習したら、読み強化のために全漢字を散りばめ沢山の自作読み物を作りました。
タイトルは自己紹介、ぼくの学校、私のクラス、タイの王室、タイの友達、日本の家族、日本の学校など子どもたちの実生活に関わりある事柄です。
子どもたちとの日々の会話から題材は沢山思い浮かびました。A4用紙に縦書きに印刷しファイルに入れ、登下校の車での音読練習に活用しました。子どもたちはすぐに内容を暗記してしまうので、ところどころ漢字や文章を変えたバージョンで対応しながら、小学校3年生まで作り続けていました。
たとえば:タイトル「自己紹介」
「わたしの名前は、〇〇です。私のお父さんは、タイ人で お母さんは日本人です。兄が一人います。わたしは今年8歳になります。今、タイの南にある〇〇けんというところにすんでいます。タイの学校に通っています。家で日本語のべん強をしています。お母さんとは、日本語会話をします。」
子どもたちは、自分自身のことが書かれているので 本の音読してみようか、といった時よりも高い関心を示しました。そのため、娘の時も息子同様に娘バージョン読み物教材を作りました。
その後、息子が小学校1年生入学時、タイ東北部から夫の勤務地であるタイ南部へ引っ越すことになりました。5年半の滞在でした。毎日片道40分ほどの登下校中の車内は、子どもたちとわたしが密に日本語で話しをする特別な空間でした。
インターネットが普及し、当時、田舎でもスマホが一人一台の時代になりつつありましたが、私自身それらを使いこなせる自信もなく、できる限りアナログでいようと心掛けていました。家庭内、外出時でもスマホ等のデバイス導入を避け、日本語での会話機会を増やし楽しいものは作り出そうと頑張っていました。
③自然の中で漢字練習
子どもたちと住んだタイの東北部や南部は、娯楽施設こそ乏しいけれど幸い自然が豊富で十分に自然の中で楽しさを見つけ、彼らのことばを育てることができました。立地上ラッキーな場所で、南部の家は小一時間のドライブですぐに海に出られました。
息子は浜辺で集めた貝を家の床に並べ、娘に“貝“という漢字を教えたことがありました。以来、水に関係のある漢字を覚えると貝を並べて娘に教えるのが日課となりました。川、水、雨、海、魚、と習得漢字が増えるたびに海へ出かけ貝殻を増やしたのもいい思い出です。
週末に出かける浜辺では、よくビーチフラッグスというスポーツをしました。数メートル先に立てた旗を取る“旗とりゲーム”。勝敗の結果を“正の字”で書くようにすると、子どもたちはそれまで書き順があやふやだった正の字をすぐに覚えました。
紙でなく砂浜に、鉛筆ではなく足で描くことで書き順がすっと記憶できたようです。日々の文字学習がこうした実体験とつながる瞬間が、子どもたちの記憶に漢字が定着するチャンスに思えました。
④バラバラ漢字クイズ
タイの地方暮らしは、どこへ行くにも車。運転手のわたしは、後部座席で日本語の絵本などを音読をする子どもたちから
「この漢字が読めないんだけど」
と言われても、見てあげることができません。
そんな時、子どもたちは、一生懸命自分の読めない漢字をことばで言い表します。
「上がハで 下がムって書いてある。」
運転中でも頭をフル回転させ、それはコウと読んで、公園のことかな、とか。
「カタカナのケケは何」と聞かれれば竹と答え、
以降、ケケがついててと言われたら、息子が読めない竹カンムリの漢字を聞いているのだと想像できました。
「上が帽子で一ム土って何?」
これはかなりの難問でしたが、理科室の室のことでした。他、“シチロ―“は活動の活”、“つちのこに斜めのお父さん”は教えるという漢字を聞いていました。
子どもたちには、このように漢字が見えているのか、と新鮮な気持ちになったものです。家ではこれらを思い出し、子どもたちへのなぞなぞ漢字問題を作ったりもしました。
この経験から、わたしは子どもの分かって欲しい、伝えたい、という気持ちに全力で向き合う姿勢の大切さを学んだのでした。
まき先生の過去のエピソード
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