さとこ先生の海外子育てコラム6【長男SKくんの場合/完】

SKは私を親にしてくれた最初の人です。彼から学んだことは、

「いろいろあっても、子供はちゃんと育つ(らしい)」ということです。

新米の親で、いつも右往左往していて、言葉も文化もいろいろだったけど、まあなんとかなった・・・というところでしょうか(実際、こんなことはただの幸運であって、子育てそんなに甘くないというのは2番3番目の子供たちから学んだのでした)。


SKはなんでも無難にこなす要領のいい息子で、学校の保護者面談では12年間、常に「とくにコメントすることはないです」と言われてきました。

大きな反抗期もなかった子ですが、SKが12歳のとき、5番目の妊娠を報告後、喜ぶ他の子供たちの横で、彼だけが「また下のきょうだいができるなんて・・・」と悔しそうにポロポロ涙を流しました。

慣れないフランス語の生活に加えて、あまり頼りにならない親はさらに新生児の世話に明け暮れることになる、自分の生活はさらに複雑になるだろうと、うんざりした気持ちになったのかも知れません。

いまや青年期に入り、「好青年」らしさが漂うその姿を見るたび、「いろんなところに住んで苦労させたけど、とりあえず無事に育ってくれてよかったな・・・」としみじみ思うのです。

今でも私との日常会話は日本語ですし、、読み書きもスマホのSNS程度ならなんとかなっており、小学校4年までカナダで日本語学校に通ったことが生きているなと思います。本人は漢字のアプリなどをスマホに入れてるものの、「忙しいから 」ということで続いてないようですが。

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②どの言葉で育てるか

③なぜ継承語教育か

④はじめての子育てin異文化

⑤それぞれの言葉で話すという選択