【第3子:次男Tさん編 完】さとこ先生の海外子育てコラム19
唯一、良いことといえば、困難な状況は内省を促すということでしょうか。自分について深く考えるようになります。というか、暇なので結局それしかやることがないのですね。なんのために勉強するのだろう、どうして学校に行かないといけないのか、学ぶということはどういうことなのか、生きる意味はなんなのか、自分は生きている価値があるのか・・・。どれも息子が私たちに突きつけてきた質問です。
たとえば、「学校に行く理由」です。「学校は行かないきゃいけないもんなんだ」、「義務だから」とか、「大学に入っていい仕事につくためだよ」なんて答えを与えるのは簡単です。たいていの大人は、それが答えだと本気で思っているでしょう。でも、私が次男にこんな表面的、お手本のような答えを出したら軽蔑されます。これでは社会が私たちに期待するものを私たちが体現していることを示しているだけで、本質的な答えになっていないからです。本当のところはどうなんでしょう。
その前にそもそも、学校とはなんなのか。なんのためにあるのか。どうして学校に行かないといけないのか。なぜ義務教育があるのか。義務教育の「義務」とはそもそも誰のためなのか。学校に行かないとどうなるのか。「学校に行く理由」を考えていくとき、答えを出すどころか疑問がどんどん広がっていきます。
このような質問に一つ一つ答える努力をするには、こちらもエネルギーを使います。できればあんまり深く考えないで生きたい。でも、たまに息子がこういう哲学的な質問をしてくるのです。急いで掃除をしたいとき、あと15分で子供のお迎え時間というとき、夕方、疲れて夕食を作っている時、夜ゆっくりと本を読んで安らかに眠りにつきたいときに、「お母さん、人はなんのために生きているんだろう」とか真面目な顔で言われても・・・。
私も考えて答えようとするものの、相手は反抗的な態度で議論を吹っかけてくるので、疲れて投げやりになるか、キーッとなるかで、建設的な形で終わったことがありません。これはなにかの修行なのか?!と思うこともしばしば。もうすぐ50歳だというのに、まともに哲学的な話もできないのか・・・と単に私が未熟なだけという事実に打ちのめされるのです。
ちなみに、学校にいく理由は、私は「卒業証書のため」(あったほうがいいという単に実務的な理由)と「友達を作るため」(社会の人間関係を知る)だと思っています。
夫は、「社会に適応する人間を作るため」と言います。これにも同意します。そして、私たちはなんのために生きているのか、という問いには「とりあえず生まれたから、死ぬまで生きてると思う」と答えました。
私は「私は〇〇のために生きている」と言えるほど堂々とした人間ではないのです。「とりあえず、今日のご飯を作るため」くらいは言うかもしれませんが、正直、一生答えが出ない問いだと思います。
次男とは、毎日、人生の謎解きをしているような生活です。これはこれで、ひとつの人生の醍醐味かなと思わなくもないのですが、これもまた、「人生の醍醐味ってなんだろうね?」という、正解のない問いかもしれません。
もしかしてこうやって、17歳の彼は問いを生み出しては、答えを考えて、答えが出ないからまた問いに戻っていく、またはまた別の問いを生み出していく、という思考で生きているのかもしれません。
ゴールのない道はまだまだ続きます。
完
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第3子:Tさんエピソード
第1子:長男SKさんのエピソード+さとこ先生の自己紹介
第2子:長女Nさんのエピソード